神様はシナリオを書かない

夜凪のろの雑記です。

あなたは誰

何かが噛み合わない。
夜変な時間に寝て何度か目が覚めてしまい、明け方短歌の本のポートレート写真に文字入れをして、夜明けを迎えるのが日課になった。
早朝は作業が捗るけれど、寂しい。みんなはまだ眠って休息を取っている。寝ることができない。惨めな気持ちになる。

友達の夢をよく見るようになった。最近、幼馴染の二人と別々に会った。二人は生き辛そうにしていた。
生き辛そう。生きるのが難しい。いっそ死んでしまったら楽なくらい辛いことがあった。
自分の心の所在地を失い、ふわふわと舞っていた。二人とも、私と同じ空間に居るようで居ない。世界が同期されない。
いつからこんなにずれていたんだろう。互いに何度も違ったアップデートを試みたおかけで、随分と違った生き物になった。
私は私の今のバージョンを気に入っている。前回のバージョンより明るくなったし、なにより人生の主導権が私にあるので生きやすい。
前ほど自分の生い立ちを恨むこともなくなった。よく言えば気にしなくなった、悪く言えば開き直った。
明確な成功なんて程遠く、日々の賃金すら得ていないけれど、短歌は楽しい。コスプレ趣味が転じて良い写真を撮れるようになったのも、なるべくしてなったような気がして、歯車が噛み合ったような感覚。本を読んだ後や、なんらかの刺激を受けた時のぎゅるぎゅると脳が文章を勝手に作り出す時の感覚。
トランスだとかトリップだとかに近い。

トランスやトリップだと思えることが少ないと、人生の充足感は大きく減るから、きっとトランスやトリップ(つまりアドレナリンの放出)を合法的に自分の力で行えるようになるのが大切だと知った。でも鬱の時はそんなこと考えられないし、見るもの全てが怖く、自分以外の全ては敵のように感じられ、あらゆるものが自分を死に至らしめ得る凶器に見える。
トリップもトランスもすごく難しい。トリップとトランスどころか、優しい言葉を受け入れるのすら、鬱の状態では困難である。なんせ信じられるものが少なすぎる。

バージョンアップした友人はそのバージョンどころかその前のバージョンも、最初から全部気に入っていないように見えた。

私はどうしたら良いのかわからなくなった。
死にたいと言われて「行ってしまったら悲しいよ」以外に言える言葉がない。何度も言葉を捏ねて作った粘土細工たちも揃えて横に首を振る。力が足りない。圧倒的に。誰かに手を伸ばせるような力が。
言葉ではもう無理なので、会って話したい。
けれど私はもう生が絶対に尊く、死を選ぶのは愚かな行為とは全く思えない。天寿を全うしたと実感している(ように本人が思っている)なら、選ぶのが死であっても、私は泣くことしかできない。そうやって何人か失って、その度私は愚かにも、何かできることがあったはずだと考えてしまうけれど、大抵の人間が人間に与えられるものなんてない。助けてあげることが前提な人間関係は絶対に上手くいかない。知っている。やっと覚えたことのうちの一つ。

今日は写真を撮ってくる。7、8枚足らないのだけれど、去年一年で行ったポートレート撮影の中から選定して選定してその枚数なので難しい。下手なカメラマンにとって良い写真は偶然の産物だから。
何かコンセプトを決めよう。構図を考えよう。
短歌と写真は楽しい。楽しすぎて周りが見えなくなるくらいには楽しい。トランスしている私をみつけたらこの世界に帰れるように声をかけて欲しい。どちらの世界でもちゃんと地に足つけて歩いていきたい。難しいけれど。