12/20
今日は焼き芋会に行った。
演劇で知り合った友人知人に会えて嬉しかった〜!
火を起こすという特技をたくさん褒めて頂いて、今日ほどボーイスカウトをやっててよかったと思ったことはない。
美味しいものを作るために工夫したり、焼き芋をしたいという強い気持ちを持ったり、バイクで二時間かけてキャンプ場にきてくれたりしている人々を見て、エネルギーの凄さに圧倒された。
俺のエネルギーはムラがあり過ぎて困る。
今は楽しかった思い出で高揚感がありいろんなことができる気がしているけど、これが続くかはわからない。続くといいな。続くかな。すぐ死にたくなっちゃうからな。
とりあえず目下の目標は文フリまたはそれに準ずるところで写真集と小説を売ることですね。元気に。元気はなくてもいいか。いやなるべくあったほうがいいか。
いやその前に引っ越しがあるので引っ越しだ。断捨離をして、物を捨て物を捨て物のない部屋に住むぞ。ベッドもマットレスも新しいのを買うぞ。
いっぱい書きたいことがあるなと思って書き始めたけどそんなにないかも。
言葉の流れが強めなのでうまく拾えたらいいけど、今は複数人がそれぞれの気持ちをわーわー言ってる感覚に近いのでかなり取り止めが無い感じになっている。
今はいろんなことがなんとかなる気持ちですので、この気持ちのまま眠ります。おやすみなさい。
12/18
乖離している。
脳内に文章が流れたり、別の人間がいてこちらに向けて喋ってくることがあって、愉快だな〜としか思ってなかったけど、さっき検索したら統合失調症ですと書かれててビビった。
子供時代に俯瞰視点で自分を見ることが常習化されて、イマジナリーフレンド的なものを作ってしまったんだと思う。子供時代まじでキツかったので。
そういうまじでキツかった時、子供用の椅子に体を埋めてはやみねかおるとかを読んでいた。あの頃本を読んでなかったら、こんなに脳内に文字が流れることもなかった気がする。
だから僕の中にはパスワードシリーズのマコトや小市民シリーズの小鳩常悟朗がいて、大人になるにつれやつらの境界が曖昧になって残ってるだけなのかもしれない。
今日脳内で喋った人関西弁だったけども。
会った人やTwitterの発言なんかを全部混ぜて醸造してそうして言葉や文字が脳に湧き出てきて、あんまり苦労してることはないし、なおしたいわけでもないけど、ちょっとは、ちょびっとは病気かな♪という気がしたので書き留めておこうと思った次第です。
あと単純に小説をもう書きたくなくて、でも文章は書きたいからこうやって脳内に流れる文字を出力しています。
小説、もっともっと上手に書けたら書きたいんだけど、稚拙すぎて死にたくなるので書けないです。誰か助けてください。(助ける人はいない)
髪を切って、なんかちょうど母に似ている感じになっちゃって、別にいいんだけど、なんだかな。
紫のインナーカラーを入れました。かわいい。色が抜けていくともっと紫になるらしい。嬉しい。
最近は家を探したり未来のことを考えていて偉い。
眠くなってきた。コンタクトを外し忘れた。
そういえば今日は医者の日でもあり、医者に「死にたくなります」と言ったら「死にたくなっちゃうの!?」とちょっと笑いながら言われてエ!?!?になった 心療内科に来る人あらかたみんな死にたい人でしょうがよ!と思ったけど心に留めた。
前の医者では死にたいとか一切言えなくてしんどかったのでそれくらいで受け止めてもらえるほうが気が楽。別に差し迫って死ぬわけじゃないしただ死にたいことがあるのはもう別にいいじゃん。という気がするので。とびきりの元気になりたいみたいな願望はなくなった。低空飛行のまま死なないで生きたい。
なんかもっと日記書くべきだなー。毎日この量はだるいけど、心がスッとするなー。
また書きます。たぶん。
6/20
今月も終わる。
このブログのPV数が100を超えたらしく通知が来たのだけれど、0だと思ってたからびっくりした。
でもやっぱり読んで欲しいわけじゃない。
ここの文章は毒にしかならないから読むのやめた方がいいよ。
早起きの土曜。早起きしてもなんの意味もない。
数日前、高校の時の友達の夢を見て、それから過去の記憶を掘り起こしまくって情緒がめちゃくちゃになった。
いろんな人の人生。自分の人生の尻切れトンボ感、つぎはぎ感のひどさ。
なんで生きてんだろなおれは。
脳内の文字が止まらなくなってワーッとなるやつに最近なってない。
服薬のせいかもしれないけど、どうせそんな状態でもいい文章なんか書けないから無くなって良かった。でもなんとなくさみしい。
生きてたくない、正確にいえば生きて頑張って行きたくない。
そういえばいずれ消える簡易?刺青的なものを入れた。前に書いたけど亡くなった友達と亡くなった作曲家のことがいつまでもいつまでも悲しいから、それなら体に刻んで一緒に生きようかな、というのが発端だった。簡易刺青を施してくれる人にはうまく誤魔化した。
入れて数日経ったけど、ここにあるのは記号だけで人ではないという気持ちと、居てくれて安心する、という気持ちが同じくらいある。
誰がなんと言おうとお前の体はお前のもんじゃん!みたいな全能感もあったけど消え失せた。
そんな当たり前のこともわからないなんて。自分の人生が誰かのものだという感覚が抜けない。
偏見の目に晒されるので本当の刺青を入れるなら見えない所だな。
腹の横とか足首とか首の後ろとか。
そういえばいずれ本物をやるという気持ちは抜けてないな。
二人がずっとここに居て欲しい。心からそう思ってる。
どうしたら自分を大切に思えるのかわからない。
早く重くてでかい体を捨てて魂だけになりたい。
今月が終わるのやだな。いきてたくないよ。
6/14
気付いたら月の半ばだ。最近暑い。
夏が来たら嬉しいけど食欲が死ぬ。
しかも今年はプールなし海なしとのことで最悪ですね。
そしたら野焼きとかキャンプとかしたい
なんか全然いきてたくねえな
どうしたら生きてたいと思えるんだ
自分が常に責められている気がしてならない。
これはもう消えない気がして悲しい。
自分が自分を責めすぎている。
もう少し寝たい。
早く暴力や殺人の夢見ない人間になりたい。
脳にこびりつく。
書くことないな。
近々また一次創作小説書きたい
6/10
あっという間に4日が過ぎた。何もしてないのに。
ゲームをひたすらやってる。死んでないけど生きてもない。それはわりとずっとそうだな、いきてたくない。
なにもしてないといいつつ何かしたんでしょう?みたいなのあるかもですがまじでなんもしてない。
二つ書いた小説にぽつぽつと反応があって嬉しい。また書きたい。二次創作は救いだなあ。
生きたいし、人生を能動的にやりたいという気持ちはある。
そういえば一ヶ月で落ちるタトゥーの予約をした。
亡くなった人たちのシンボル?みたいなものをいれたいと思ってる どこにいれようかね
指か手首の内側、あと鎖骨のとこ
真面目に生きてたいな
6/5
考えたことを連ねる場としてTwitterは毒みたいなものになってしまった。
誰かが読むとわかるとその誰かの心象ばかり気になるので、もうあんまりTwitterにいたくない。でもアカウントを一旦消すのは必要以上に心配をかけるのでやめた。別に死でもなんでもないのに。
今スターバックスにいる。本を読むためだけの喫茶店、小説を書くためだけの喫茶店が本当に好きで、スターバックスに限った話ではないのだけれど、思ったよりぼくは外の環境というものを必要としていたなと思い出す。
ぼくなんかは幸せな方だというのは本当に良くわかる。でも人の悲しみは人の悲しみで比べるものではない。この悲しみはほんとう。
医者で死にたいですっていうただそれだけがなぜか出来ない。言ってもしょうがないからかな。いや相手は医者だから聞き慣れてると思うしショックも受けない。人間が死にたいと思うのはエラーだけどありふれてる。
人の感情、人の感情がありありと何百何千流れていくのが身体に悪い。これを誰かが読んだとしたら毒だと思う。感情は常に痛みで、身近な人間がそれを言うのと、しらん人間が言うのとで全く意味合いが違う。
いつも誰かが喧嘩してる。いつも喧嘩してる人が身近にいたら気が狂うと思う。狂ったし。
好きな歌人の小説を読んだ。比喩が良すぎた。信じられないほど突拍子がないのに文章に比喩が馴染んでいてびっくりした。恐怖ですらある。自分の比喩がわりと好きだったけどなんてショボいんだろう。
内容は恋愛のことが多くて、恋愛って結局なんなんだろうなと思った。この概念はあまりにもいろんな感情と繋がっていて、かたちの種類が膨大で、ひろいきるのはほんの数人のものだけで良くて、他愛無い、そういうやつかもしれん。しらん。
そうそれで、小説は短編集で、うちの一つは読んだことのあるもので、でも5年前くらいに読んだから忘れていたんだけど、思い出した。
ティーパックを裁縫ハサミで切って中身が落ちるシーンに差し掛かった瞬間映像でバッて蘇った。
イラストを見たわけでないと思うのだけど、あまりに綺麗なジフアニメーションが浮かんだから怖かったけど気持ちよかった。美しい。美しいものに救われる。我々は愚かにも美しいものが好き。
昨日ここにVチューバーのことどれくらい書いたっけ。わかんねえ。とにかく美しいものを追う人間どもが唐突にめちゃくちゃ愚かに思えて嫌悪感があった。でももうこの業は抗えるものではないなあ。美しいものが好きだよ。
ぼくはぼくの信じる美しいものが好き。
さっき街中で叫び出したくなった。そういう時っていつもほんとギリギリのときだったんだけど、べつにおおきな波があったわけでもなく、ふつうに叫びたくなったからウケた。あと涙が出そうになった。
もうなんで涙が出るかとかわからん。意味ない。俺の感情は俺のためにあって俺は俺に守られるべきだということを人生や日々に刻まなくてはいけない。
よし、カラオケに行く。
蜜でしょうけどね。
夜また何か書きに来るかもしれないし来ないかもしれない。
とりあえずTwitterに行かないように気をつけたい。
小説を書かないまま、また夏が来る。
意味がないほうがいい
誰も読んでないとなると書く気が湧いてくる。
誰か読んでたら意味のなさに嫌気が差すと思う。申し訳ない。いないけど。
Vチューバーについて考えていた。そもそも三次元の人間を信仰するのは良くないという結論に至った。
人が削れるときというのはいろんな場面があるけど顔も知らない不特定多数にあることないこと言われるのは相当削れるはず。
それを分かっていて消費をやめられないのでクソだ。
頭の中にめぐる過去の記憶が脳を縛り続けてこのままこのクソみたいな呪いを背負って生きる覚悟がないとマジで死ぬと感じる。
希望的観測、未来への希求で死ぬ。期待すればそのぶんうまくいかないことが腹立たしくなる。
こんなふうに憂いても意味がないのでなんか愛とかやりたい。愛とかやれるのかおれは。
本当に愛してる人々に上手く伝えたい。絵本を配ろう。
一人称、これと決めるのが間違いな気がしてきたので色々使ってる。口頭では「自分」を使っていきたいけど「あーし」みたいな発音で自分のことを呼んでいることに気づいた。
「私」とは言えてないんだよな。滑舌が悪くて。それに気付いて決めることがどうでも良くなったので好きな時に好きな一人称を使う。
男体持ちはやってるよな。いいよなあ。ケースバイケース。
ねむい。今日は眠い。良かった。おやすみなさい。