神様はシナリオを書かない

夜凪のろの雑記です。

短歌の本のタイトルがじわじわと決まった。
長い文章が体の中で何度も削れて、最後にまんまるい単語になった。エスケープ。
あんまり喋る必要はないのだけど、タイトルについてすこしだけ書く。
いつか還る場所がこの世界以外にあるという確信が私の中にずっとあって、この世界と私の気持ちがずっとずっと摩擦を起こし続けている。摩擦で焼けた皮膚が教えてくれる痛みの理由と意味を、本当は全部知っている。何が必要で、何が不必要で、何が私の本質で、何が世界の本質なのかを、本当は、私は、全部知っている。摩擦を受け入れて火傷をさするだけではなく、エスケープキーを押して元の体だけの私に戻る。私だけの話じゃなく、それはみんなの話でもあって、みんながエスケープするためのポータルとしての、ランドマークとしての本になって欲しくて付けた。
私がハンドルネームに使っている「のろ」と言う名前は尊敬する作曲家の昔の名前(ハンドルネーム)で、彼が付けていた緑色のエスケープキーのピアスから発想を得た。彼の音楽は体を元の姿に戻してくれる。
彼は嘘ばかり書いているとよく言っていたけれど、私がそう思ったことは一度もない。いつも素直すぎるくらい素直で正直な歌が並んでいる。それが重たい鎧みたいなものを剥がしてくれる。その行為がエスケープだったのだと今思う。

誰かの為に何かを書いたりしたことは一度もなく、今回も私は私の魂を救うためだけに短歌詠んでいて、写真に言葉を埋め込んでいる。
その行為が誰かの鎧を剥がせる可能性が少し、本当に少し、3パーセントくらいあるから、本にしたいと思った。形になって欲しいと願った。そうやって作っている。大きな意味はない。でもみんなに読んでほしい。きっときっと良いものになるから。

写真たちが私が書き溜めておいた短歌を受け入れる時と、写真が言葉を渇望している時の二種類があって、それがどっちなのか、そんなことは結果的にどうでも良いことなんだけれど、多分出身地が違うから、見分けてあげたら喜ぶ間と思う。きっと喜ぶ。
文字にも写真にも生まれてきて良かったと思ってほしい。私が生んだとはあんまり思えないけど、でも確かに私がキーを叩いたから。

絶賛作業中だけどそんなことを考えている。言葉について、命について、写真について、表情について、私は全部本当を知っている。

是非見てほしいです。でも少しで良い。大切な人たちに私はここから来たんだということを発表したい。遠い遠い出身地の話をしたい。している。
エスケープ、きっと生きた言葉と写真を届けます。よろしくお願いします。