神様はシナリオを書かない

夜凪のろの雑記です。

ほっぷすてっぷいんぷっと

多分、多くの作家は、インプットがストックされている。腐らないように冷蔵庫に入れてある。そこから料理を作るみたいに刻んだり焼いたり煮込んだりする。
私は圧倒的に読書量が足りていなくて、分野もかなり偏っているから、最近は何が綺麗な文章なのかも曖昧になってきた。いよいよ本の虫に返り咲くぞと意気込むけれど何を読めばいいのかわからない。何を読めばいいのかわからないことなんて昔はなかったのに。図書館に行って物色すべきだ。 ブランクのせいで材料は腐ってしまったり忘れられてしまったりしている。なので料理出来ない、書けない、のスパイラルに突入してしまっていてやばい。やばいのだ。
やばいのだけどやっぱり本に手が伸びなくて、だからというわけではあんまりなく、なんとなく今必要な気がして「キャロル」を観に行った。
綺麗だった。
最初に車で移動するシーンで、毛皮のコートや頬、手、指がアップになった時の、この目でこの世界をたった今「私が」観ているのだ感が凄かった。カタルシス。
登場人物の命と姿形が可愛くて、美しくて、充足していた。終始幸せに満ち満ちていたわけではないから、余計に幸せがハッキリとみえて、それも良かった。
私にとっての幸せは何なんだろう問題に、キャロルがフィットしてくれた。
ささやかで他愛もないことに幸せを見出せる私は幸せだ。幸せは私が幸せと思ったらそれが全部幸せだ。わかったか。ほかの誰にも定めさせない、私だけの定義だ。
こうやって自由に文字を書くこともその一つだ。何だかよくわからない使命感に襲われて書いていた所もあったけど、やっぱり本質的に、私は書くことが好きだ。書いて生きていきたい。あわよくば書くことで賃金を得たい。それは別にもう隠したり変えようとしたりしなくていいのだと思う。恥ずかしかったり才能や技術や努力に見合わないからって辞める理由にはならない。
書きたいから書くぞ。書くことが好きだから書く。誰のためでもなく私の為に書く。
キャロルはいろんな側面でいろんな問題に触っているはずなので、誰が(どんな立場や視点でも)観ても何かを拾い上げたり手の中におさまったりすると思います。オススメの映画です。

インプットしたら嘘みたいに元気になったので、暫くは映画を借りて図書館に通う人になろうかなと考えています。同時進行で小説も書くぞ。キャロルを観る前は無気力でどうにでもなれと思っていたけど、今は書ける気がする。書く。頑張ります。ほっぷすてっぷいんぷっと!