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考えたことを連ねる場としてTwitterは毒みたいなものになってしまった。
誰かが読むとわかるとその誰かの心象ばかり気になるので、もうあんまりTwitterにいたくない。でもアカウントを一旦消すのは必要以上に心配をかけるのでやめた。別に死でもなんでもないのに。
今スターバックスにいる。本を読むためだけの喫茶店、小説を書くためだけの喫茶店が本当に好きで、スターバックスに限った話ではないのだけれど、思ったよりぼくは外の環境というものを必要としていたなと思い出す。
ぼくなんかは幸せな方だというのは本当に良くわかる。でも人の悲しみは人の悲しみで比べるものではない。この悲しみはほんとう。
医者で死にたいですっていうただそれだけがなぜか出来ない。言ってもしょうがないからかな。いや相手は医者だから聞き慣れてると思うしショックも受けない。人間が死にたいと思うのはエラーだけどありふれてる。
人の感情、人の感情がありありと何百何千流れていくのが身体に悪い。これを誰かが読んだとしたら毒だと思う。感情は常に痛みで、身近な人間がそれを言うのと、しらん人間が言うのとで全く意味合いが違う。
いつも誰かが喧嘩してる。いつも喧嘩してる人が身近にいたら気が狂うと思う。狂ったし。
好きな歌人の小説を読んだ。比喩が良すぎた。信じられないほど突拍子がないのに文章に比喩が馴染んでいてびっくりした。恐怖ですらある。自分の比喩がわりと好きだったけどなんてショボいんだろう。
内容は恋愛のことが多くて、恋愛って結局なんなんだろうなと思った。この概念はあまりにもいろんな感情と繋がっていて、かたちの種類が膨大で、ひろいきるのはほんの数人のものだけで良くて、他愛無い、そういうやつかもしれん。しらん。
そうそれで、小説は短編集で、うちの一つは読んだことのあるもので、でも5年前くらいに読んだから忘れていたんだけど、思い出した。
ティーパックを裁縫ハサミで切って中身が落ちるシーンに差し掛かった瞬間映像でバッて蘇った。
イラストを見たわけでないと思うのだけど、あまりに綺麗なジフアニメーションが浮かんだから怖かったけど気持ちよかった。美しい。美しいものに救われる。我々は愚かにも美しいものが好き。
昨日ここにVチューバーのことどれくらい書いたっけ。わかんねえ。とにかく美しいものを追う人間どもが唐突にめちゃくちゃ愚かに思えて嫌悪感があった。でももうこの業は抗えるものではないなあ。美しいものが好きだよ。
ぼくはぼくの信じる美しいものが好き。
さっき街中で叫び出したくなった。そういう時っていつもほんとギリギリのときだったんだけど、べつにおおきな波があったわけでもなく、ふつうに叫びたくなったからウケた。あと涙が出そうになった。
もうなんで涙が出るかとかわからん。意味ない。俺の感情は俺のためにあって俺は俺に守られるべきだということを人生や日々に刻まなくてはいけない。
よし、カラオケに行く。
蜜でしょうけどね。
夜また何か書きに来るかもしれないし来ないかもしれない。
とりあえずTwitterに行かないように気をつけたい。
小説を書かないまま、また夏が来る。