神様はシナリオを書かない

夜凪のろの雑記です。

手の中に何もない

なにも読んでいない、何もしていないから。
何もしていないことに慣れてしまった。何もしないのは楽だ。生きている心地があまりしないから、死んでいるのとあまり変わらない。誰かから何かを求められることもなく、自分から何かを求めることもなく、ただ湯水のように娯楽を消費している。
短歌本の作業が終わったので、小説に手をつけると言い出してはや1ヶ月、たぶん百字も書いていない。それはまずいと思ったのでTwitterを禁止した。禁止したのだけどイライラして仕方がなくなった。中毒症状が著しかったので今は一つのアカウントで呟いていいことにして、ミュート機能を駆使して作った機械みたいなTLを眺めている。
何もできない。何もしなくてもお腹は空くからご飯は作る。食べる。
今も緩やかに死に向かっている。みんなそうなんだけど、浪費している。
こんな風にずっと生きていられたらいいなと思う。楽だから。
ずっとずっとただ楽になりたかっただけのような気がする。何を目指してそんなに頑張っていたんだっけ。何になりたかったんだっけ。
私はただ自然の中でご飯を食べながら好きな人たちと笑っていたらそれで良かった。他に大それたものを望む必要がなかった。
ある時好きな人たちが分裂した。二つに別れたから、大勢の人が指す幸せみたいなものを望めなくなった。元々二つにわかれていたものをくっつけようと努力していたが、その甲斐虚しく失敗した。
そうして大勢の人が指す幸せみたいなものを手にすることが怖くなった。元々二つだった命を、一つの家庭にして鍵をかけることがどれだけ難しく恐ろしいことか知った。だからそれを手にすることを諦めた。
それからは自分が幸せだと思うことばかり並べるようになった。大勢の人が望む幸せを嫌悪して突き放し、自分の好きなもので城壁を築いた。手に入れた新しい家は私と妹の城になった。手に入れた城で娯楽の城壁の中で楽しく過ごしている。社会に対して後ろめたさがないこともないけど、でもこの選択を間違ってるとは思っていないし、間違っていると誰かに言われる筋合いもない。
城の中で、娯楽と娯楽の間で、ふと手の中に何もないことに気づく。何も生み出せなくなった指をスワイプさせて娯楽を消費する、その隙間で何もしていない自分に心底嫌気がさす。もうお前の言い訳は聞き飽きた。いくらそれらしい言い訳を並べたところで、書かないのならそれは書けないのと同じことで、書かないことを嘆くことすら、ひたすらに不毛。
そういう毎日です。すごい人の作ったすごいものをみて わあすごいな と言い続けるだけの。
そもそもまだ自分が一次創作できると思ってない。二次創作ならまだしも。

二次創作で、完全にキャラを借りて自己を反映させただけの創作で、さして整理した解釈ももたないまま殴りつけてボコボコにするような文章の中でキャラクターを殺してしまった。私が殺した。すごく気分が良かった。すっきりした。私の創作の中での彼はもうちゃんと生きられる世界線が残っていない。申し訳ない。
希望の話を書かなきゃいけないのに、絶望の中の絶望をバラバラにして並べる行為が楽しかったのが嫌だった。全然私の望んだことじゃなかったはずなのに楽しかった。生き生きしてた。

希望の話を書くと歯の浮くような嘘臭さを孕むのはなんなんだろうね。たぶんちゃんとした希望がどんなもんなのかうまく解釈できていないんだろうね。

今日は割とするするとオートマティスムできたけど、これは単に恨み辛み呪いまじない祈りの類で、思考分類とか整理とかとはまた別じゃないかな。どうだろう。客観視した時に思ったことをまた書きたい。
書かないと生きている意味ないよって言ってくる自分と、生きている意味なんてみんなに平等に一つだってないよと言ってくる自分がいて疲れる。何もしてないのに。